【京焼・清水焼の技法】
  天 目 (てんもく)

清水焼イメージ



天目茶碗とはもともと中国で作られた鉄釉の器のことです。
特に有名なのは油滴と呼ばれる宇宙の銀河の様な輝きを放つ水玉文様の天目茶碗です。

 

(製作技法)

天目茶碗は基本的には鉄釉が器面を流れ艶やかな黒色が発色するのですが、不純物などが混ざりやすかったのか、
焼成段階でうまく分離できなかったのか、思わぬ発色が出ることがありました。
特に有名なのは油滴と呼ばれる宇宙の銀河の様な輝きを放つ水玉文様の天目茶碗です。

オリジナル陶器・トイレ便器の絵付け



これは高温になった窯の中で、鉄釉が沸騰してできたあぶくのはじけた中に異なる金属成分が入り込むことで
星の様な輝きを発色させているとされます。
これはもともと失敗の産物で、それを日本人が好んで持ち帰ったともいわれ
中国には見られないものだともいわれていました。
現在でも国宝、重要文化財などに指定されるほどの名品が残っています。


(下剋上の時代、闘茶から侘茶へ)

天目茶碗とはもともと中国で作られ、現在の浙江省の天目山にある寺院で使われていたものを日本に持ち帰ったことが始まりとされています。
日本では中世以降輸入が増え禅寺などで修行の一環として天目茶碗を使って茶礼を行っていました。
また、鎌倉時代末期から室町時代にかけて闘茶と呼ばれる茶の銘柄をあてる遊興が流行り、派手で自由、豪奢なふるまい・服装などを好むバサラ大名や
上層階級などの中で流行し、彼らによって燿変油滴天目や珍しい発色を施した天目茶碗などが蒐集されることになりました。
その後、千利休が大成したとされる侘茶の文化が広まると、煌びやかな天目茶碗は使われることはなくなりました。
代わりに利休が長次郎に作らせた黒楽茶碗が侘茶に求められるものとなりました。
同じ鉄釉を使ったこの対照的な茶碗の変化は、中国的な茶の文化が日本的な茶の文化に変化した象徴といえます。

すり鉢状の茶碗の底は、茶筅の運びに適さず天目茶筅と呼ばれる、織田信長のまげの様な穂先の小さなもので点てます。
本来の天目茶碗の使い方は、侘茶で飲まれる抹茶ではなく主に葉茶を入れて飲まれていたと考えられています。
天目茶碗の特徴の一つとして口元にすっぽん口と呼ばれるくびれがあります。これも普通にお茶をいただくには不便な段差ですが、
この段差で茶葉が止まるように工夫されたものと考えられます。
新茶の季節にニュースなどでお茶の品評会の光景が流れ、スプーンで茶葉を押さえたりして飲まれているように、
茶碗に茶葉と湯を入れ匙(木べらのようなもの)で茶葉を押さえながら飲まれていたかもしれません。

さらに口縁部には覆輪と呼ばれる銀の板が嵌め込まれたものがあります。
一説にはこれは室町時代などの下剋上の時代、いつ誰に毒を盛られるかわからないので、
お茶に含まれた毒が銀に反応して変色して未然に気づくためのものではないか、と説いている人もいます。
こわいですね。