京焼き・清水焼 急須(きゅうす)

大切なお客様から仲の良い友達まで、初めてのもてなしはまずお茶からです。お煎茶は上品な宝瓶・急須で、お番茶はたっぷりした土瓶で、入れ方にこだわれば、楽しい時間が広がります。

清水焼 京焼・清水焼 急須<br> 焼締め 大
京焼・清水焼 急須
焼締め 大

作者:喜信
4,500円+税
3から4人分の茶葉が適量
清水焼 京焼・清水焼 急須<br> 焼締め 中
京焼・清水焼 急須
焼締め 中

作者:喜信
4,300円+税
2から3人分の茶葉が適量
清水焼 京焼・清水焼  急須<br> 焼締め 小
京焼・清水焼 急須
焼締め 小

作者:喜信
4,200円+税
1から2人分の茶葉が適量
清水焼 京焼・清水焼  急須<br> 高山寺(鳥獣戯画)
京焼・清水焼 急須
高山寺(鳥獣戯画)

作者:潤
5,200円+税
細かく空けられた茶漉し穴
清水焼 京焼・清水焼  宝瓶<br> 志野ぶどう
京焼・清水焼 宝瓶
志野ぶどう

作者:実
4,000円+税
貫入と鉄の侘びた風合い
清水焼 京焼・清水焼  急須<br> 南蛮唐草
京焼・清水焼 急須
南蛮唐草

作者:実
4,500円+税
手彫りの唐草模様

【1、急須って何?】

私たちが普段何気なく急須と呼んでいます。そもそも「急須」っていったいなんやろう、と思われた方は
おられませんか?
詳しく調べれば何年に、かくかくしかじか有りますが、諸説混沌としてますし、ここでは噛み砕いて
簡単にご説明いたします。
急須(きゅうす)はもともと急焼(きびしょ)からなまったものとされています。でも、この手の語源の話はたいてい論理的に完璧なものは有りません。半ば言ったもん勝ちのきらいはあります。
ただし、形を見ていきますと確かに、もともとはコンロの様なもので火にかけて使われていた急焼と呼ばれる道具の形が現在の急須の形に近いものがあります。面白いのは、もともと日本にお茶の文化をもたらした中国大陸に、急焼の形、使用方法は有りますが火にかけない急須の形、使用方法は有りません。今のところ急焼が日本にもたらされた後、急須へ変化していったもんやろうと考えられます。

中国大陸から伝わった緑茶も、今では日本だけが一般的に煎茶と言い、製法も違います。これだけ見てもお茶の文化が日本にもたらされてから変化し、用語、道具などもアレンジが加えられていったんやろう、ということが想像できます。
急須もその類でしょう。ただお茶も、もともと火にかけて煎じて飲まれていたわけです。今ではお茶のお店でパックされている煎茶は、昔々は茶摘みをした後、ある程度の段階から自分で作っていくものであり、煎じるなどの工程の際、急焼なるものを使っていたのでしょう。
そのうち、お茶というものが「お湯を入れたら完成するもの」として発明され流通するにあたり、急焼を使う必要性が無くなり用語としても見られなくなるか、お茶を入れる以外の他のものを急焼と言って変化していった地域もあるみたいです。

つまり、日本にきて緑茶の独自の発展とともに急焼で茶を煎じることが一般的でなくなり、その後、いつの頃からか急焼に似た急須なるものが出現し、火にかけず茶葉を蒸らす、茶の成分を抽出する道具として広まったと考えられます。
きびしょ、が訛ったかどうかはおいといて、上記のような変化をしてきた急焼に近い形状の道具が、いつしか、急須という品名で拡販されていったのでしょう。

あくまでも内容物の変化により、器というもの自体も都合よく変化していくものであり、急須もその一つなんですね。

【2、宝瓶って何?】

これは京都に主に見られるお茶を淹れる道具の一つです。
碗に蓋を乗せただけの形で、注ぎ口に溝を掘って蓋との隙間から注ぎ出すもの、くちばしのように外付けで注ぎ口を付けたものの2タイプ有ります。前者は搾り出しとも呼びます。
お茶を「お湯を入れるだけでできるインスタントの様なもの」、と言ってしまえば語弊があるかもしれませんが、宝瓶などはまさにそのために作られた、いたって構造のシンプルなものです。

急須ほど容量は入りませんが、茶葉から近い距離で茶碗に注ぎ出されることから、お茶の風味を逃がさない印象があります。また、コンパクトでこじんまりしているので良いお茶が手に入ったとき、少量で風味豊かに煎茶、玉露を飲むのも良いですね。

このタイプの道具がどこからもたらされたか、これも諸説あり、文字も泡瓶、方瓶とも書きます。
現在中国で一般的に蓋碗というものでお茶を飲む風習があり、それが専ら緑茶用であること。煎茶道にもすすり茶という点前があり蓋碗が古くから日本にも伝わっていたこと。などから自ずとそのあたりにルーツを求められるでしょう。
余談ですが、中国に旅行に行った時、こんな体験をしました。蓋碗に緑茶を入れ湯を注ぐ勢いで泡たちます、蓋をスライドさせて、その泡をよけるようにして被せます。そして蓋をずらして茶葉を抑えるように碗自体を傾ける。そして、碗に口を付け蓋との隙間からお茶が出てくるのを飲むのです。泡を切る意味、また、その泡を避けること自体が一般的なことかはわかりませんが宝瓶が泡瓶とも書くのは興味深いことです。

【3、お茶を京都の「急須」「宝瓶(ほうひん)」で気軽に淹れましょう。】

あまり難しいことを考えず、気軽に淹れてみてください。薄っ、苦っ、て思ったらお湯の温度、蒸らす時間の長短、茶葉の量の多少を調節すればうまく入ります。

◎ 京都の急須は全て手造りされています。
◎ 中に金属、プラスチック素材を使わないのは、陶磁器の空間の中で茶葉を泳がし、蒸らす事により、お茶本来の風味、旨味が損なわれない様、大切にしているからです。

《急須によるおいしいお茶の淹れ方》
① 急須に直接適量の茶葉を入れる。茶葉の入れすぎに注意。
② 茶葉の種類にあわせて、お湯を冷ましてから、急須に入れる。
③ そのまま1分から2分蒸らす。
・中を見て、茶葉が底の方に沈んできたらおいしい頃合い。お湯呑を選んだり、御茶菓子を用意したり、ひとつ用事をはさむと丁度良い時間ですね!
④ 注ぐ時は、「ゆっくり」傾けていく。
・初めは薄めのお茶が出てきます。後から茶葉の近くの濃いお茶がでてくるのでお湯呑を見ながらお好みの濃さに調節していきます。
・お茶は2つ以上の湯呑に注ぎ分けるか、1つの湯呑の場合でも急須を2、3度傾けるのをゆっくり戻しながらゆっくり注ぐのがコツ。(ゆっくりしないと渋みが出てしまうので注意。)
・【注意!】急いで注いだり、茶葉が泳いでいる最中に注ぎ出してしまうと、注ぎ口に茶葉が詰まります。
⑤ お茶は最後の一滴まで、しっかり絞り出す。

茶畑で育ったお茶は、
急須の中で、美味しく完成します。

【4、お茶の話】

お茶は、中国の渡来僧栄西が日本に伝えたとされています。また、栄西が明恵という僧侶に茶の種を贈り、その明恵が京都の嵐山の近くにある山寺、高山寺に植えたことが始まりで、その後宇治に移されたのが始まり、とされています。鎌倉時代のことです。伝説的なところもありそうで、諸説あるようですが、中国大陸から何度かもたらされていた茶が鎌倉時代頃に仏教の普及とともに寺院で栽培、喫茶されていったことは間違いないでしょう。
その後、戦国時代末期に茶の湯が起こると戦国大名の間で流行し、単に喫茶文化としてではなく論功行賞を茶器で与えたり政治的な意味合いを持つ特殊な価値を付されることになります。それ以来、しばらく日本では抹茶が飲み続けられることになります。江戸時代になり中国大陸の情勢が落ち着くと本に中国の文物が多く輸入され京都の公家や文人墨客の間で珍重されるようになります。そんな中で抹茶に加えて葉茶も飲まれるようになってきます。その後、中国大陸から伝えられた茶とその製法は、日本で全く違ったものに変化していきました。

緑茶、煎茶と言えば、今やペットボトルで飲むさっぱりとしたあの飲み物です。大手飲料メーカーがこぞって個性的な商品を売り出しています。「濁りが」とか、「急須で入れたような」とか「おーい」とか、いろいろおいしいのが出てきています。そんなお茶の飲まれ方が、お茶人さんやお年を召した方の中には「けしからん」と思っている方もいるやもしれません。
でも、そもそも日本で変化してきた喫茶文化の中で、お煎茶自体、語弊があるかもしれませんがインスタント化されたもので「お湯を入れたら完成するもの」としての体裁で、流通することにより庶民にまで広まったものなんです。
むしろペットボトル入りのお茶があれだけ品良くCMで流されることにより、若い方を中心に急須で入れるお茶も見直され、道具にこだわる方も増えてきて良い傾向にあると思います

このように多量消費の時代にあって煎茶というものも変化し続け、大手の製造メーカー各社もしのぎを削っているようですが、その日本で変化してきた煎茶は、どのように変化してきたのか、それは「お湯を入れたら完成するもの」という言葉にヒントが隠されています。

「お湯を入れたら完成するもの」といえばラーメンをまず思い起こしますが、もうひとつ・・そうお茶漬けです。なんと、お茶漬けで有名な永谷園創業者の先祖、永谷宗円が発明した煎茶の製法が「お湯を入れたら完成するもの」であるのです。
それを世に広めたのが二人の人物。一人は禅僧高遊外、彼は売茶翁とよばれ京都でお茶を売りながらその効能を広めたそうです。京都で文人墨客たちに受け入れられ彼らの集めた中国陶磁器と相まって大いに流行します。また海苔で有名な上から読んでも下から??読んでも、の山本山。山本山は江戸の日本橋に拠点を置き廻船のルートを確保していました。そして永谷宗円と組み、宗円が宇治で作る煎茶の、江戸での売り出しに成功したのです。味もさることながら、その手ごろさが庶民にうけて、今で言う大ヒット商品になったのでしょう。
宇治茶の産地、宇治は伏見と隣同士の地域で伏見は酒蔵でも有名。やはり清酒も江戸では最高級の「下り酒」として大量に消費されました。お茶とお酒の輸送ルートの出発点が現在の伏見港であり船を使って大阪湾に出てそのまま江戸まで運べたのです。
手軽なものを大量消費地に送り込み庶民に大々的に売り出す、今と変わらないですね。でも永谷園も山本山も、なぜか今ではお茶以外で有名に。面白いことです。

【5、移り変われど喫茶文化は続きます】

お茶と言うのは、お茶に湯を入れるだけ、これだけの簡単なものですが、それゆえに、これほど奥の深いものはないでしょう。私なんかが偉そうに言わんでも日本には茶道、煎茶道という文化が有ります。一昔前は嫁入り前のたしなみ、として道具を一式、着物を何着も揃えて、といった方も多いでしょう。
それも現在となっては少しずつ様相が変わってきていることは否めません。日本の文化の大きなウェイトをしめてきた茶道文化。堅苦しいと、いう方もおられると思いますが、これがなかったら今の日本人が成り立たないのでは?でも、変わりゆくもの、それも文化です。

煎茶の発明とペットボトル入りのお茶、のように変化したと思うことでもじつは時代は繰り返していたりもするのです。ですから変化の中で、古いものの中にある良いものを見極め、次世代に残すべき新たな形を作っていく、それが京焼・清水焼の様な伝統産業を扱うものの使命となるのでしょう。

おかげさまで当店で取り扱う茶器・宝瓶や急須は多くの方にご愛用いただいています。
もともと当店では、お煎茶道具に造詣が深く、各地の物産展などでお煎茶道の各流派の師範の先生方から煎茶道具の数々を細かくご指示いただきオーダーメイドもさせていただいておりました。さる御家元からも流派で使う大事なお道具の仕事もさせていただくなど、煎茶道のお道具を造らせていただくお仕事は、当店の大きな糧となっております。

そんな中、本格的なウーロン茶をはじめとする中国茶ブームが10年ほど前におこり、当店では京焼の技術を活かして独自の中国茶器をデザインし高い評価をいただことが新しい転機となりました。

他にも、関西で放映されている夕方の人気情報番組『ちちんぷいぷい』のコーナーでも当店の宝瓶を取り上げていただき、大きな反響を得たことから、お茶の淹れ方を多くのお客様に再発見していただくきっかけにもなりました。

また、数々の日本茶、中国茶をメニューに載せるカフェのオーナー様からのオーダーメイドの注文も頂き、当店からも新しいお茶の提供の仕方などをその都度ご提案させていただくこともあります。

近頃、せっかく急須を買ってもおいしくお茶が入らない、お茶っぱが詰まる、とおっしゃるお客様がちらほらおられます。「そない難しいこと考えんでも、茶葉の分量、湯の温度、蒸らす時間、ちょっとずつ変えてええ塩梅のとこみつけて、そろりと注ぎ出したらおいしいお茶出んのになあ」て思います。
ペットボトルのお茶に皆さんは何を求めていますか?ソムリエみたいに口の中ころころ転がして「鼻に抜ける芳醇な香りが」っていいますか?口がもっさりしてる時に飲んでさっぱりしたら「あーおいし」ってなりませんか?お茶の本質って簡単にいえば、気分変えたい時にさっぱり出来ることに有るのではないでしょうか?

簡単なお茶でもちょっとお気に入りの湯呑、茶碗に注いでから飲んだり、おいしいお菓子が手に入ったらついでに贔屓のお茶屋さんに走ってお茶葉買って帰ってきたり、ちょっとした「しつらえ」によってお茶は美味しくなると思います。そんな「しつらえ」の一つ一つをこれからもご提案できれば、と思っております。