銀閣寺にて日本文化の原点を感じる夏の日

銀閣寺にて日本文化の原点を感じる夏の日
京都人あるある
生まれてこのかた一度も行ったことない有名観光寺院
銀閣寺>三十三間堂>金閣寺>清水寺

だいたいこんな感じですかね(笑)
蒸し蒸しする昼下がり銀閣寺へ行ってきました。(銀閣寺というのは通称で正しくは慈照寺と呼ばれるそうです。)



ちょっと拍子抜けします。境内はこぢんまり、入ってすぐにあの有名な「銀沙灘」(ぎんしゃだん)、「向月台」と称される2つの砂盛り




銀閣のアングルが見えてそれでほぼ終わり、後は庭園散策で終わりです。
でも、とても暑い日でしたが庭園に入ると5度ほど下がったか、と思うほどひんやりして気持ちよかったです。
背後に迫る山の裾の斜面を利用した庭です。

これだけ有名なのにこぢんまりしていてもなぜかがっかり感はないのです。

むしろ神秘的な空気が漂う境内に落ち着きを感じます。
海外から来られた方はどう感じてはるのかな?

勝手な解釈ですがその表情には私と同じ様な雰囲気が感じられました。

国宝に指定されている東求堂を見ると洗練されてはいるもののまるで典型的な日本の住宅家屋をイメージさせられます。







寺院建築の厳かな非現実的な空間ではないのです。
どこか懐かしい、日本人の心の故郷に降り立った様な、東求堂に限らず境内全体からそんな気が感じられました。

話は変わりますが京都は1200年の都、などといわれています。長きにわたり文化の中心であり発信地であり続けました。
その転換点はやはり明治維新であり天皇のお引越し、です。それに伴い多くの公家も京都を離れそれまで脈々と続いてきた伝統的なものの多くが途絶えたり、在り方を変更せざるを得ない状況となりました。
私はその状況は現代に至るまで続いていて、我々京都の人間は、その憧れの京都を切り売りして食いつないでいる様にしか思えてなりません。

まるで鉱山の様に、生み出せず削り取りながら消費しているのです。

思えば京都で文化が飛躍的に発展(生み出された)した時期というのは二つしかありません。

一つは平安時代。
平安京が出来て、貴族が政治の実権を握り雅やかな貴族文化が華咲いた時。

もう一つは室町時代。
武家の時代になり、鎌倉に幕府が開かれたとはいえその権力基盤は弱く、わずか三代で途絶えその後、足利幕府が京都に開かれ花の御所と呼ばれた時。

足利幕府の権力基盤も、金閣寺を立てた義満以降長く続かず守護大名の権力争いを引き起こしそのまま応仁の乱を起すのです。
しかし応仁の乱の後、あらゆるものが取捨選択され、極めてシンプルに無駄を省いた究極の美意識を追求する文化が生まれることになります。
建築、枯山水庭園、能、茶の湯、連歌
半ば厭世ムードに包まれる世の中を謳歌するかの様な、固定概念を打ち崩す様な新しく洗練された文化、この頃から今の日本人に通ずる精神性、美意識、道徳みたいなものが生まれたのだとされます。
銀閣寺を建てた足利義政は歴史の教科書では為政者として物足りなかったと評されているわけです。

しかしながら、義政は応仁の乱の前後を挟み将軍であり続け、鎌倉期以降京都に広がる禅文化、かねてよりある京都の貴族文化を繋ぎ合わせました。

特に義政は義満に始まり、義教以来途絶えていた勘合貿易(日明貿易)の再開をしました。それが莫大な利益のみならず流入した文物がそれまでの日本の文化に刺激的なエッセンスとなりました。

明文化への憧れはその後も京都の絵画や京焼など文化に影響を与え続けます。

私は京都の公家や足利幕府が思いのほか長く続いたのは貿易の利権(港湾など)を握り朝貢外交を逆手に取り莫大な利益を上げていたからだと考えています。

義政はもっと評価されるべき人物です。政治を顧みず、幕府の財政を逼迫させてまで作り上げた銀閣寺と言われていますが、
義政の作り上げた銀閣寺こそ現代に繋がる日本文化の結晶であり、日本人の原風景、というか究極の美意識がここにあるのだと確信致しました。

今の京都は何も文化を生み出さない街です。
この様な背景を見ても今のままでは無理だろうと思います。
そのことをわかっている人がどれだけいるのが甚だ心配です。