清水焼イメージ【陶工紹介】
加藤 雲泉 (かとう うんせん)

 

 

二代 雲泉
1968年、初代雲泉に師事し、絵付けを習得。
1977年独立、京都・西野山山麓に工房を構える。
1996年、伝統工芸士に認定される。



雲泉窯といえば緻密な染付や中国明朝の磁器を彷彿とさせる和絵具(天然素材)により発色させた深みのある五彩を使った作風が特徴です。

雲泉の仕事は複雑にして繊細。
その造形はロクロ成形ののち石膏型に押し当て皿の底部を平らにしたり、縁に段差をつけたり、口縁部を隣花に成形します。
昨今はこのような造形は量産され安価に製造されていますが、雲泉の磁器はその質感、バランスの取れた重さ、細部の造形にいたるまで一客一客丁寧に施されています。
商品ページでは表面の華やかな部分はさることながら、器の使用時には見えない高台内の細やかな削りなどもご紹介しています。
また、絵付けは緻密にしてじっくり観察すると悠々と流れるように筆が入り、墨画を鑑賞するかの如く豊かな表現力に満たされています。
中国明朝の磁器を彷彿とさせる和絵具、つまり天然素材から丁寧に発色させた色絵が雲泉の一番の特徴といえます。
デザインは自ずと江戸中期から後期に京都に住まう上層階級がこぞって蒐集した中国陶磁器に由来するものが多くみられます。

オリジナル陶器・トイレ便器の絵付け

中国大陸において大きな勢力を有し華やかなる文化を開花させた明・清朝時代。
政治の中心は江戸に移ってもなお西国の主要な港湾をおさえ貿易を活発にし、
経済的に豊かな大坂・京都の商人は、京都の公家、茶人・文人墨客達とサロンを形成し、
こぞって中国陶磁を蒐めました。
やがてそれらの中国陶磁と同等のものを自らの意のままに京都で製作を目指しました。
奥田潁川が18世紀後半、京焼で磁器の生産に成功してからその門下の青木木米をはじめ、
数々の名工により本歌に勝るとも劣らぬ赤絵、染付、金蘭手など数々の名品を生み出します。
以後、京焼の磁器のデザイン、技術は割烹食器の需要の増加とともに絵付け、彩色の技術はもとより、
ロクロ、たたら、打ち込みなどの成形技法を巧みに操りハイレベルな意匠を維持してきました。
昭和になり戦争による混乱の中その組織力を失い疲弊した京焼の窯元は
登り窯から電気窯への変化を逆手に小規模で安定した生産体制を確立しました。

雲泉窯は伝統的な技法、デザインを堅実に守りながらも、新しいデザイン、色彩に取り組み、
京焼磁器生産の王道を行くことになります。さらに用の美、を第一に考え、当時の京焼では成し得なかった
最高峰の陶磁器の完全なる技法の継承に挑み続けています。